第1章

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「そうか」 良かった、と秋月がほっとした顔になった。 「まさか手ぇ出してないでしょうね」 疑わしそうな目つきになった夏目を、葛見がじろりと睨みつける。 「秋月、お前んとこの板前、躾がなってないぞ」 「そうか?」 お浸しにしようと湯通しした春菊を笊に引き上げながら、秋月が軽くあしらう。 「客と馴れ合う従業員は、店に良くない」 「別に馴れ合ってるつもりは……」 言葉を途切らせた夏目が、口が過ぎましたと頭を下げる。小さく笑った秋月が肩をぽんと叩いた。夏目の唇が緩んで、ほっとしたような笑みが浮かぶ。葛見が瞳を細めた。 紫煙をひと吐きして、おもむろに口を開く。 「まあ、あれだよな。客と従業員のカンケイよりは、少しすすんでるかもな、オレタチ」 オレタチ?と。いきなりの一括りに、菜箸を握り直した夏目が眉を寄せる。 「なんたって、キスした仲だし」 ガランと。 流しに取り落としかけた笊を、秋月が慌てて持ち直す。 しれっとした顔で煙草の煙を横に吐く葛見を、真っ赤な顔で夏目が睨みつけた。 「あれ……あれは、葛見さんが無理矢―――」 「お前が馴れ馴れしい態度をとっても、しょうがないよなぁ……キスしちゃったからなぁ」 中学生や高校生ならともかく。いいオトナでしかも自他共に遊び人と認める葛見が言っても、説得力のないこと甚だしいセリフではあったが。わざと『キス』を強調した言い方に、夏目の頬にますます血が上った。 「子供じゃあるまいし、キ、キスくらいで馴れ合ったりしませんっ!」 ようやく言い返せば、葛見がにやりと笑う。 「キスくらい、ねぇ……そうだよな、そんなこと大した事じゃないよなぁ、今どき。握手みたいなもんだ」 「あたりまえです!」 売り言葉に買い言葉。夏目に言い切られて、今度は秋月の頬に朱が差した。気付いた夏目がはっと瞬きをする。 「や、あの……それは相手によるっていうか、ええと」 しどろもどろになった夏目に向って、葛見が人の悪い顔でにやりと笑った。
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