価値ある地への近道は

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気分転換がしたくても、その術はここにはない。誰かと話して気を紛らわすことも、趣味だったゲームに興じることもできない。 「……異世界っていったら、もっとわくわくするものじゃないのかよ」 フィクションで触れて得た異世界のイメージは随分前に瓦解していた。 頬杖をついて視線をノートに落としているものの、目が文字を追っているだけでまるで理解の足しにはなっていない。こんなに集中力がなかっただろうか、と不思議に思う。向こうの世界では、トップクラスとまではいかないまでも、中堅以上の大学は狙える学力があったのに。 はあ、という自分のため息がやけに大きく聞こえた。 ノートを閉じ、代わりに絵本と辞書を開いた。今日はもうだめだ。単語を覚えることにしよう。これなら、多少集中に欠けていてもある程度の進捗は期待できる。 単語の暗記に勤しみ始めてからしばらく経つと、どこからか硬いものと硬いものがぶつかり合うような音が、小気味好いテンポで鳴っているのが聞こえた。音は少しずつ大きくなる。 机から窓の外を見遣ると、いつの間にやら日が結構傾いていた。窓辺に寄って外を見下ろす。 「……馬はなんて言うんだったかな。リヴェル?」 そもそも向こうの馬と同じ種なのかはわからないが、側からちょっと見ただけでは違いはないように思えた。 ともかく、こちらの世界の馬が、背に一人の男を乗せてこの屋敷に向かってきていた。ハスクさんが帰ってきたらしい。青色のロングコートがリズム良くはためいているのが見えた。 家の主が帰ってきたから、といって、玄関で待ち構えるような風潮はここにはなかった。別に下の階に下りる必要もない。 椅子に座り直そうとしたが、なんとなく気分も乗らない。昼過ぎから今までずっとやっていたんだから、と自分に言い訳をしてベッドに寝転んだ。 枕元に常備してあった漫画やゲームも今はない。スマートフォンは充電切れ。何もできない自分が馬鹿らしくなって、ゆっくりと目を閉じた。 結局、その日の勉強はまるで進まなかった。その後は、いつものように夕食を取りながらみんなの話をぼんやりと聞き流し、順番を待って風呂に入った。 違ったことといえば、ディーンがいなかったことと、ハスクさんがいて、そのことでハイネちゃんがいつもよりご機嫌だったことぐらいだろう。
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