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生まれたばかりの朝日の中で、初めて寝顔を見る。
まだあどけなさの残るそれは、きっと本当の珀の姿なのだろう。
恋はしないと言う彼が、この顔をいつか恋人に見せるときは来るのだろうか。
ホストを演じている時の顔を、彼が完璧に作り上げたホワイトキラーを好きになったほうがまだ救われたかもしれない。
そうだったなら、昨夜幾度も囁かれた『好きだ』という言葉も、魔法の呪文となって私を誰より幸せなヒロインに仕立てあげただろう。
けれど、本当の珀を求めてしまう今の私に、白牙の仮面は残酷すぎる作りものだ。
余韻の残るベッドをするりと抜ける。
身体にはまだ違和感が残っているし、腰も立たないかと心配したが、なんとか歩ける。
優しくできるかわからないと言いながら、珀はやっぱり優しかった。
そして、私の苦手意識が、いつかの宣言どおり完璧に塗り替えられてしまったことは少し嬉しくて、少し悔しい。
苦痛ではなかった。
珀が言ったように、確かに、それは幸せな行為だった。
肌と肌とを直に触れ合わせ、熱を伝え合えば、常識とか理性とか、理想とか現実とかお金だとか職業だとか、嘘、後悔、言葉、明日、未来、あらゆるものを一足でとびこえるような、その時ある物質的精神的有形無形、そのすべてをも凌駕する行為。
愛される、身体を愛してもらうということを、私はこれまでの経験のなかで全く知らずにいて、そのことをまた昨夜知った。
その幸福を、この身をもって経験した。
すでに荷造りを終えていた鞄を自室だった物入れから持ち出す。
布団を始め、ここにいる間に使わせてもらっていたものの片付けと始末は昨日のうちに済ませてある。
昨夜のクロスでの飲み代と一晩の夢のお礼として、アルバイト代と貯めていた分を全額封筒に入れてダイニングテーブルに置く。
珀が買ってくれた携帯電話ともここでお別れだ。
「お世話になりました」
一礼をし、静かに部屋を出る。
合鍵をエントランスのポストに落とし、空港へ向かう。
チケットは実家のある福岡空港までの片道。
東京を離れたその日を最後に、私は白牙にはもちろん、珀にももう会うことはなかった。
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