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しかし、それもこれも、僕にとっては、誰よりも大切な社長の沈んだ心を癒せなければ、まったく意味がない。
どんなに感動的な演奏ができるようになったとしても、それはいつでも、そして永遠に、彼のための音楽でしかないのだから。
彼の体に腕を回して、僕は壊れないようにそっと抱きしめる。
あるいは、腕の中から、知らぬ間にふっと消えてしまわないように。
「これからのことを考えましょう。どうしたら、貴男の心を平安に保てるのでしょうか? 今のような船上生活でそれは満たされるものですか?」
社長は息だけで笑い、緩く首を振る。
「私の心の平安? そんな取るに足らないことに、大事な時間と労力を費やすものじゃない。私はただ、こうして時々、海の上で君に会えれば、それ以上の望みはないよ。演奏活動の合間にでも、君のスケジュールに合わせ、世界中の港まで船で移動することにしよう」
ああ、それは、とても素敵な申し出ではあるけれども。
「僕はどちらかというと、残りの人生はずっとこの船に乗っていたいです。社長と一緒に。たとえ貴男だけのお抱えピアニストとしてピアノを弾いていても、食べていくぐらいのは保障は期待できますよね? 船の仕事はよくわかりませんが、なんなら、掃除とか洗濯ぐらいしますよ」
社長はまた笑って、低い声で『その案は却下する』とだけ言った。
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