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微笑まずにはいられない。
社長は怪我を負って体が不自由になってから、僕が必要以上に彼の世話を焼くのをひどく嫌がる。
そんな時間があったら、一分でも多くピアノに向かって音を磨き、あるいはそれ以外のあらゆる音楽の勉強をしろ、という。
「私のことは、渡辺や看護師たちがすべてやってくれるから大丈夫だと、いつも言っているではないか。ここはいいから、早く音楽院へ行きなさい」
そう言いながら、表情は次第に優しくなっていくのがわかる。
肩をすくめて、僕はさりげなく車いすの取っ手を握り、いつものように押し始めた。
「わかりました。貴男を新しい家まで無事送り届けたら帰りますよ。だけどいつの間に家なんか買ったんです? どんな家ですか?」
個室から出てゆっくりと廊下を進みながら、話が弾む。
「うむ。バルコニーから外へ出れば、すぐに森を散策できるような、気持ちのいい場所にある。頼んでいたバリアフリーのリフォームがやっと終わってね」
話をする社長も楽しそうだった。
半年を過ごした施設の個室は、バス・トイレはもちろんのこと、応接コーナーまで備えた不自由のない部屋ではあったけれど。
これまで広い屋敷でばかり過ごしてきた彼のことだ。やはり施設での生活は息苦しかったのだろう。
それに耐えて、つらい訓練にも積極的に取り組み、この人はとても頑張ってきたと、僕は思う。
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