日常3

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 それでこの老人は一代で築いたトミタの行く末を案じた。案じ過ぎて自分が死ぬ前に「わしが死んだあとはこうしろ」との遺言を生前にマスコミに大々的にぶちまけて昏睡状態に陥ったのが九月の初旬。  その生前遺言の内容に二人の息子と日本経済界は右往左往させられているのだ。 「でも、俺と変わらないくらいの歳の孫息子にトミタの全ての権限を任せるなんて、確かにどうかしてるよ」  そうだね、と浩哉が静かにマグカップを口に運ぶ。  昏睡状態の会長が実質的な後継者に選んだのは長男でも次男でもなく、長男の息子、つまり自分の孫だった。  この孫は会長とその性質が良く似ているようで、昔から事あるごとに「わしの跡はコイツに任せた」と側近達には言っていたそうだ。だが、まだ三十過ぎたばかりで欧州の自動車メーカーに武者修行に行っている孫息子に本当に全てを手渡すとは誰も思ってもいなかった。  この孫息子、結構な男前だということは分かってはいるのだが、如何せん、動画どころか写真にも姿を撮らせないほどの忍者振りで、目下、国営放送から女性週刊紙のカメラマンまでもが彼を一目拝もうと必死に取材合戦をしている、と言うことをこの前うちに遊びにきた栞里が言っていた。  情報番組が終わり、続いてワイドショーが始まった。相変わらず話題はトミタの孫息子のことのようで、ライバル会社のお家騒動が対岸の火事の俺はテレビを消すと「そろそろ行こうか」と席を立った。 「あのさ、陵介。やっぱり今朝は電車で行くよ」  浩哉が俺と自分のマグカップをシンクに運びながら申し訳なさそうに言った。 「どうして? 職場は同じなんだし、来週には修理が終わるって整備士が言っていたんだろう? うちの店まで車以外だと電車とバスの乗り替えもあるから面倒だよ?」  俺は新聞を片づけて上着を羽織ると、同じように上着を羽織って鞄を持った浩哉を急かした。  玄関を出て浩哉が戸締まりをしていると庭木に水をやっていた隣りの家の奥さんが挨拶をしてきて、二人で「おはようございます」と声を揃えた。 「ほら、浩哉。早く乗った乗った」
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