第1幕

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綺麗、と言ったがそれだけでは表現しがたい、言葉にしがたい美しさを内包していた。 見た目だけを着飾った表面的な美しさではない、美術品そのものが内側から輝きを放っているかのような、造形美。 昨日の昼間に見たものとは完全に別物だった。 「昨日展示されていたのは、偽物だったの……?」 朱里が見たそれは、ただの紅い宝石がついたブローチだったはずで、薔薇の形をしてはいなかった。 瞬きも忘れて見入る朱里を見つめて、怪盗がゆるりと唇を微笑みの形に刻む。 「いいえ、違います。あれは“未完成品”だったんです」 未完成品、と朱里は口の中で呟く。 先ほど怪盗は、これを完成品と言っていた。 「……貴方は、完成品を持っているのに、どうして未完成品を盗ったりしたの?」 本物を所持していたのなら、模造品であるレプリカを盗んだりする意味が分からない。 朱里の問いに、目深に下したシルクハットの下で怪盗がクスリと笑った。 「お嬢さん、貴女は一つ勘違いをしているようです。これは、昨夜まであそこで展示されていた美術品ですよ」 朱里はからかわれているのかと思った。 「嘘よ……昨日見たのと、全然違うもの」 思わず向きになって言いつのった朱里は、シルクハットの下からわずかに覗いた怪盗のエメラルドグリーンの瞳が、優し気に細められたのを見た。 「やはり貴女は、良い眼をお持ちのようだ。……ですが、嘘ではありません、これはあの未完成品を完成させたものなんです」 言葉の意味がすぐには理解できなかった。 あの未完成品を、完成させたもの? 昨夜まで展示されていた未完成を盗んで、わざわざ手を加えて、今夜までに完成品に仕上げたとでも言いたいのか。 原作者ならともかく、そんなことが普通にできるわけがない。 「どうやって……?」 「それは秘密です」 スッと口元に人差し指を当てて怪盗は、いたずらっぽく微笑んだ。 それから、手の中の小箱の蓋をそっと閉じると、小箱を懐にしまい込んだ。 「……さて、あまり長居するわけにもいかない身の上ですので、そろそろ失礼させていただきます」 え、もう行ってしまうのか、と朱里は眉根を下げた。 本当に、朱里にあのブローチを見せに来ただけのようだ。 「どうして貴方は、私にそれを見せに来てくれたの?」 昨日一瞬会っただけの自分に。
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