思い返して

2/2
前へ
/2ページ
次へ
蛇の生殺しという言葉を聞いた。 途中まで手をつけておいて、決着をつけない状態のことを云うらしい。 そういえば、私も飽き性で目新しいものにはすぐに飛びつく癖に、長続きせず、あとには もしかしたら続けるかもしれない。 謎の意欲に乗せて購入した専門的な画材、器具類。 それらが残骸となって佇み、半年もしないうちに物置部屋へと移住することになる。 .。?:*゚?゚*:?。 いつか、誰だったか。 “物を大切に、長く扱えない人間は、恋愛においても長続きしない” そんな言葉を放ったのは。 それを聴かされたのが幼少期・・・。成人したいい大人になっても未だに覚えているというのはどうだろう。記憶力がいい、なんてものじゃない。一種の催眠さえ感じる。とにかく、その言葉がずっと心の、頭の片隅にいる。 ふとしたときに思い出しては、あぁそういえばそうだった、気をつけなくては。と自分のなかで意識を強めた。 飽き性である私だ。残骸はとうに物置部屋へと移住している。 ただ、“物を大切に”という教訓に従い、時間を見つけてはそれぞれのメンテナンスや品質チェックをする。 恥ずかしげもなく人前で飲酒する年齢になっても、彼氏という存在がいない年月は年齢に等しい。 それでも私は構わないのだ。この世の幸せは恋愛だけではない。 そう、自分のしたいことをしたいようにする。 それが私のスタイルだ。 蛇の生殺し。 生きている蛇はくねくね動いて蜷を巻き人間を威嚇する。 死んでいる蛇はぴくりとも動かない。なにもしない。ただ肉を蟻に食われ朽ちていく。皮が残れば人間が取って価格をつけ、財布グッズとして、ファッションとして。人間につかわれる。 生きているか、死んでいるか。 その動作には何らかの終わりがある。 生殺し。 生きていない、死んでいない。 心臓が無機質にただ時を刻んで、死のカウントダウンをしている。 どう苦しめられたのかわからない。 けれど、無性に苦しい。いっそ楽になりたい。 その願いは叶わない。叶えられない。 蜷を巻けば逃げた。肉を蟻に食われた。 そんなのに比べたら、こんなのは拷問だ。 中途半端が、いちばん苦しい。 蛇の生殺し。 中途半端であること。物事に決着をつけないこと。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加