7月31日 午後8時25分

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「浩輔、俺と……俺と、逃げて。まだ契約の時間、残ってるよね?」  俺は、普段の倍サイズになるくらい細い目を見張って、俺とは正反対の元々こぼれ落ちそうなほど大きな瞳を真っ赤にした朝陽を、見つめ返した。 「あ……さひ……!」  俺は、別れの前にもう一度朝陽の顔が見られると思ってなかった驚きと、喜びと、そうして突然の言葉とに混乱して、ただただ、名を呼ぶしかできなかった。  古いマンションの駐輪場の、薄暗い蛍光灯の光と申し訳程度の屋根の下、朝陽は傘も持たずに立っていたようだった。俺がタップダンスのレッスンから戻ってくるのを待ってたんだろう。スケジュールは知っていたはずだ。  ぐっしょりと濡れた髪と半袖のシャツ。モデルも顔負けの整った顔立ちは重い疲れを仮面のように貼り付けている。  朝陽がそんなしょぼくれた様子を見せるのなんか初めてだったから、俺は何度も目をまたたいた。  だいたい、朝陽は今頃、父親と空港近くのホテルにいるはずだった。荷物はもう新居に送ってしまって、家にはなにもないって言ってた。俺は明日、成田に見送りに行って、それでいろんなものが終わりになるんだって覚悟を決めていた。同級生がひとり減るだけじゃない、俺の人生を大きく変えた、契約関係の終わりが訪れるのだと。  ここにいるわけがない朝陽に暗がりから飛び付かれた瞬間、俺は思わずうぎゃっと声を上げてしまった。ビニール傘が手から離れ、コンクリートの上の水溜まりにバシャンと落ちた。
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