清洲同盟 

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清洲同盟 

今日は栃木県の奥まで写真を撮りに行ってきました。カタクリの花が見事でした。 クラブツーリズムのツアーだったので舐めてましたら、結構な登山で、まじで膝が痛くて泣きそうです。。。 いまあっちでもこっちでも元康君が登場しておりますが。 実際には元康君は清洲には来ていないだろう、というのが最近の論調です。 わたしは永禄4年に最初に家臣同士でおおまかな骨子を決めたあと、詫びも兼ねて元康君が清洲にやってくる、という設定にしましたが、実際の元康君といえば。 永禄4年、東三河に兵を進めていくのですが、そうすると今川家は戦わないで撤退してしまう。つまりは元康が城を抑えても、それは今川家の代官として統治する、と今川家は思っていたのでしょう。。。そういう約束だったかもしれません。 が、4月11日の戦以降、氏真は松平逆心、と触れ回るようになる。 ということは4月11日直前に元康君は信長と同盟することにし、信長との不戦条約に基づいて、東三河へ攻め込んだ、と言えるもののようです。 またこの清洲同盟の内容は最初はお互いは対等、境界を定め、それを侵さない、というだけのものだったようです。 でもやっぱり清洲にきて語り合ったというほうが、20年の長きにわたる同盟を美しく飾ることができると思うので、そういう設定にしました。 実際にこの同盟が長く続いたのは当初は利害の一致から、途中からはあまりにも信長が栄達してしまって差がつきすぎて、信長に従属したからです。 ところで。 信長と帰蝶という夫婦と元康と瀬名(築山殿)という夫婦。どちらも奥さんのほうの家格が高く途中で奥さんはその高い地位を失います。 帰蝶は相変わらず安泰でダンナさんとも仲良しですが(美濃で御殿を立ててもらっちゃうし)、瀬名姫は義母(於大)に嫌われて岡崎城に入れてもらえない。元康はお母さんの言うことをよく聞くいい子ですね。奥さんを幽閉するなんて。。。 こういう自分を抑えて他人を不幸にする元康式不幸の方程式がきっとわたしが元康君を好きになれない原因です。 大政所が朝日姫のところへ下向したときには人間BBQの準備をして待っているし。 なわけで。元康をかなりのへたれに戯画化しております。ファンの方すみません。 2017/3/29 しのき美緒
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