歴史・時代小説における時代考証の重要性

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少々びっくりしたので。1610年に屋台そばがあり、寺子屋があり、氷水が売られ、紀州藩の江戸詰めがあった。そんな設定を見てしまったのぉおおおおお。 なんのこっちゃ、という方に。 1610年(慶長15年)、未だ豊臣家は健在。大坂も元気。一方徳川家康の関東入府により江戸の町づくりが始まっており、1603年、江戸幕府が開かれる(征夷大将軍宣下)。ただしまだまだど田舎。このときの紀州藩は徳川家じゃなくて浅野家。豊臣家滅亡後に転封があって、徳川家が入ってくるのね。 江戸が本格的に日本の首都としての機能を備えるのは、やはり大坂冬の陣・夏の陣が終わってから。落語ネタが使われているのですが、その落語ネタ自体が1700年代にできたもの。 そばが庶民の食べ物になるのは17世紀なかばくらい。 同じように荒唐無稽なのは戦国時代モノにも多々あって、一番よくみかけるのは「簪(かんざし)」。これはゲームの影響かもしれないですが、基本平安時代の遣唐使廃止以後国風文化の興隆から戦国時代まで特殊な人たち以外は簪はさしません(髪をあげないから)。 櫛を前髪にさすのは宮中の女官さんたち。あるいは妃たちの正装。もしくは伊勢の斎宮。賀茂の斎院。 戦国時代が終わった頃。桃山時代になると女たちも髪を上げるようになり、このとき流行るのが兵庫髷(ひょうごまげ)。べっ甲の笄(こうがい)で髪をまとめ、簪も付けるようになります。 もうひとつ。帯!!!男も女も前結びで細い紐(ひの、ふの、みの、よのというのが幅を示す言葉であったらしい)。後ろで立て矢結びになんかしないのだ。帰蝶さんもですから前ですっごい高価な舶来モノの布などを好きな幅にして結んでいるんですよん。。。格好よく見せるために芯を入れると帰蝶さんは仰せです、はい。 よく転生モノや転移モノで、「着流し」という言葉を目にしますが、わかってなーーーい、と心の中で叫んでそっとページを閉じます。だいたい3ページめくらい?(笑)戦国時代、着流しはありません。だから信長の格好がおそろしく異装に思われたのです。皆さん、袴着用。 いくらWEB小説だからといって、なんの下調べもしないで書くというのは読者に対して失礼だと思うわけです。 あー、すっきりした。 以上、しのきでございました。
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