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「ねぇ、今日は中庭に行かない? 」ある日、いつものように昼食をとろうとした時、彼女はこんな事を言った。
「いいけど、暑くない? 大丈夫? 」僕は怪訝そうな顔をしていたと思う。
「藤棚のところだから、そんなに暑くないよ、今日は風も涼しいし」
「そうだね」
僕が中庭の引き戸を開けると、もわっとした熱気が体を包み込み、蝉の声も一緒になって入ってきた。本当に行くの? の意味を込めて目配せをすると、彼女は黙って頷いた。
二人で日射しから逃げるようにして藤棚の下に逃げ込む、絡みついた枝が作る木陰は、目の前にある噴水も相まって、とても涼しかった。
「体が溶けちゃうかと思った」僕はワイシャツの袖で汗を拭った。
「私も」
「でも、ここは随分と涼しいね」僕は弁当の包みを開くと、もう一度額を拭った。でしょう、と少し得意げに言った彼女も、ハンカチで首筋を拭いていた。
・・・
「暑い中で食べるお弁当は、少し違ったね、ぬるいって言うか」
「でも、それが良いんだって」彼女は、時々(僕に比べたら随分と少なかったが)少しおかしな事を言った。
「ああ、夏だなぁって感じがするでしょ」やっぱり彼女は何処かズレている(これもまた僕ほどではない)だけど、彼女がズレていなかったら、僕が彼女に熱く焦がれることもなかっただろうし、こうやって自然に話をする事だって出来てないはずだ。
「そうなのかな? 」
「そうなんだって」
「そういうことにしておくよ」
「そうして」真っ直ぐに僕の方を見て笑った彼女の首筋に、汗が一滴流れ、ポロシャツの襟からほんの僅かだけ覗く鎖骨を濡らす。僕にはそれがとても幻想的な風景のように映っていたので、その一部始終をくまなく見ていた。
「どうしたの? 」
「ちょっとボーッとしてただけだよ」僕は慌てて言い、少し気味の悪い汗をかいてしまった。だけど、僕のそんな様子なんて、少しも意に介さずに、彼女は一点を指差した。
「見て、あそこ、向日葵が咲いてる」噴水を挟んだ向こう側の花壇に、向日葵が三本、並んでたっていた。
「なんだか元気が出るね。生まれ変わったら、蝉か向日葵になりたいなぁ」不意に口をついて出た言葉に自分でも驚いた、なんと訳のわからないことを言っているのだろう。
「向日葵は分かるけど、蝉って……」彼女は苦笑いだった──
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