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彼女と一度、たった一度でいいから、そよ風の中で(正直、別にどこでもいい)話がしてみたい。そんな思いは強くなる一方で、勉強に集中している時でさえも頭の片隅には彼女の横顔がある、そんな状態だった。悶々と、鬱々とした感情がとぐろを巻きつづける、そんなある日、神は僕に大きなチャンスを与えた。
あれは8月の上旬だった、いつもよりも少し早く昼食をとろうとした僕は、全身の凝りを解しながらドアノブに手をかけた時、部屋の中に彼女が一人でいることに気づいた。一瞬にして頭の中を様々な事象が駆け抜けていく、あーでもないこーでもないだの、こないだ引いたおみくじには恋愛に置いては積極性が必要云々と書いてあっただのなんだのとそれはもうバリエーション豊富で雑多な事象が。
そして、僕はドアをゆっくりと開け、おもむろに彼女の座る席の方へ向うと、こう言った「ご一緒してもよろしいですか? 」と、彼女は少し驚いたような顔をしていたが、それ以上に驚いていたのは僕の方だった。なぜこんな事を言っているのだ、僕は。これではまるで新手の変人ではないか。
焦燥に駆られ、僕の目が200メートル自由形を始めるのを必死に堪えていると、彼女は少し考えた後、良いですよ、と笑った。とても素敵な笑顔だった、今死んでも悔いなどないと思えた。
「えっ……良いんですか!? 」僕の目玉は飛び出した。
「うん、でも、どうして急に? 」
「一人で食べる昼食ほど寂しいものは有りません、だから……」僕は狼狽えた。
「嘘です……本当は一度でいいから、貴女と話がしてみたかったのです」僕はあっさりと白状しながら、まるで明治時代の文豪の台詞みたいだな、と思っていた。
彼女はいきなり吹き出し、お腹を抱えて笑った。
「なかなか素敵な挨拶ですね、大分古めかしいけど」笑い終えると、彼女は目尻の涙を拭いた。
「すいません、いきなり変な事言って……僕は三年四組の晃一……鈴木、晃一です、朝霧さん……ですよね? 」僕はしどろもどろになっていた。なんで声などかけたのだろうという後悔と、彼女と話をしているという歓喜が入り混じって、僕はおかしくなりそうだった。
「そう、朝霧、朝霧菜緒、鈴木くん、私と講座が全部一緒だから覚えてるよ」
「それは嬉しいなぁ」
「よく間違えるよね、横河先生の講座で」
「まぁね……」僕は頭をかいた。照れくさかった──
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