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「―――っと」
深鍋をシンクの下に入れようと屈んだ夏目が、手を滑らせた。ガランガランと金属音が暖簾を下ろした店内に響き渡る。
「すみません!」
転がった鍋を慌てて押さえた夏目に、カウンターを拭いていた秋月が心配そうな視線を向けた。
「大丈夫か?」
「あ、はい」
「どうかしたか?……何だか今日はちょっと、上の空みたいだ」
秋月に訊ねられて、夏目が口篭もる。
「夏目?」
あの、と夏目が口を開く。
「例のパーカーの男が、また現れたようなんです」
秋月の瞳が見開いた。
「本当か?」
はい、と夏目が頷いた。
「お豆腐屋の若旦那さんが、この間の騒ぎの事をしつこく訊かれたって……」
「黒木のものじゃないのか?」
違うみたいですと夏目が首を振った。
「それで、俺、ちょっと思ったんですけど……その男が聞きまわってる相手って、蝋燭屋のお嫁さんとか角の喫茶店とかで。……なんだか古くから居る人たちを避けてるみたいだなって」
きゅ、と秋月の眉が寄せられる。
「それって、もしかして―――」
夏目が言いかけた時、ガタン!と大きな音がして。はっと二人が玄関に顔を向けた。
「秋月さんは、ここに居て」
言い置いて、夏目がカウンターを回る。
「どなたです?」
引き戸になっている店のガラス戸。その向こうに蹲る黒い影があった。
「……誰?」
夏目のかけた声に、応えはない。
振り返った夏目が、秋月と顔を見合わせる。眉を寄せた夏目がもう一度口を開きかけた時。
「……秋月、さん」
ガラス戸の向こうから、微かな声がした。秋月が瞳を瞬く。
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