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師走に入ると、何かと気ぜわしくなる。
「和食処秋月」も、十二月に入った途端にほとんどの夜は忘年会の予約で埋まってしまった。
仕事関係に友人達。お客の話を聞いていても、二度、三度と忘年会が続く者が多い。
「そんなに忘れたい事が多いんですかねぇ」
夕方の開店前のカウンターの中。俎板の上で千枚漬けを広げながら、夏目がぼやいた。
「君は違うのか?」
雪平の中でとろとろと葛を掻き混ぜていた秋月が笑う。
「え、俺なんか、今年はひとっつも忘れたい事なんかないですもん」
千枚漬けの上におろした山葵を乗せて、夏目の器用な指が端からくるくると巻いていく。斜め二つに切ったそれは、粕漬けの銀鱈が焼きあがってから脇に添える。脂の乗った魚に合うさっぱりとした箸休めだ。
「この町に来て、秋月さんに会って、お店に雇ってもらって……」
漬物を巻く指がふと止まる。顔を上げた夏目が黒い瞳を廻らせた。
「お城の桜とか、一緒に見に行った蛍とか……ひとつだって忘れたくない」
じっと見つめてくる大きな瞳。その眼差しは穏やかなのに、なぜか視線を合わせていられなくて。秋月が手元の小鍋に視線を落とした。柔らかく煮た蕪にかける甘海老の葛餡が、とろりと渦を巻く。
「なんかね、包丁を握るのが毎日楽しくて。朝起きて、ああ、今日も秋月さんと一緒に働けるんだなって思うと嬉しいんです。作った料理を喜んで食べて貰えて……ここに来て、俺、料理するのが好きなんだって思い出せた」
そっと伏せたその横顔に浮かんだ陰りに、秋月がつと胸を突かれた。
「年越しは蕎麦を打ちますか?」
夏目に訊かれて、はっと秋月が瞳を瞬いた。
「そうだな。二年参りのお客が来るから、大晦日は蕎麦を用意しておくんだ。毎年大晦日は明け方まで店を開けるが……」
遠慮がちに口篭った秋月に、分かってますよと夏目が大きく笑う。
「大晦日はお節の仕出しもありますよね」
「ああ……伝統ものはいつも通りとして、目新しいものも二つ三つ入れたいな」
「俺、考えてもいいですか?」
頼むよ、と琥珀の瞳が緩む。笑い返して、夏目がまた俎板の上に屈み込んだ。
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