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よる記者会見が行われていた。
首吊りをした三人がいずれもカトリックの司祭だったためカトリックに非難が集中したのだ
何故ならキリスト教では絶対自殺を認めていないのである
自殺を思い留めなければならない司祭が自ら死を選ぶなどあってはならない事であり、釈明をしなければ信者達が黙っていないからである
記者会見には東京本部の教区長を兼ねる大司教が立ったが記者会見などしたことがないためかなり緊張していた。
挨拶と紹介の後新聞記者が質問した。
「読み書き新聞の井上です
三人は自殺と考えてよろしいのでしょうか」
「まだ警察の司法解剖が終わっておりませんので断定は控えたいと思います」
「三人の方に遺書はあったのでしょうか」
「いえ、そのような報告は受けておりません」
「ではカトリック教会は自殺ではないと考えてるのでしょうか」
「その点につきましては司法の判断を待ちたいと思います」
「他殺の線も考えてるのでしょうか」
「それについては今お答え出来ません」
「じゃあなんでこんな記者会見を開いたんですか」
「それはこれほど問題が大きくなった限り、何らかの立場を表明するべきだと言う判断がなされまして」
「その判断はバチカンによると考えて良いでしょうか」
「いえ日本カトリック教会の判断です」
「しかし信者はですね、日本カトリック教会を信仰してるわけではないのですよ
しかるべき形を取るべきではないでしょうか」
「おっしゃる事が今一つ理解出来ません」
「まあいいでしょう
それで今回の事について日本カトリック教会はどのような責任をとるおつもりでしょうか」
「責任ですか
それはどのような意味でしょうか」
「教会の監督責任です」
「いや、自殺はあくまで個人的な問題であり、どなたかに損害が生じたわけでは 」
記者達がざわめき始めた
一人の記者が立ち上がった
「それはあなたの発言ですかキリスト教会の発言ですか
自殺は個人的な問題だから個人が勝手にすればいい
そうとってもよろしいんですね」
大司教はたじたじになりハンカチで汗を拭いたまま何か言い訳を考えてるようだった
責任を取ると言えばバチカンに責任問題が波及する
個人的と突っぱねれば教誨を行う事も懺悔を受ける事も嘘臭くなる
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