聖女へ

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五課を率いる素材と期待を寄せ今でも頼りにしているのは当然とも言えた しかし本居でも、数十年前の記事から自分に必要な情報を選別するのは至難の技だった 本居の情報を精査する速度は麻薬捜査の時から飛び抜けていた。 とても常人のレベルではなかった 本居はあっという間にオーム事件周辺の地元紙の報道を主要部分を精査したが本居の脳味噌に何かのインスピレーションを与える記事はなかった さすがの本居も頭が疲れてしまいタバコを出して吸おうとしたが小さな図書館は禁煙と壁にでかく書いてあったし、老齢の司書は何か言い出そうな顔だったので 本居はタバコをしまった そして気晴らしに何の気なしにコラムを読んだ そのコラムは地元のある司祭が新聞のインタビューに答える形式だった そこには宗教においてのカリスマ性についての議論が書かれていた。 インタビューが聞いていた 「それでは、立ち入ってお聞きしますが 司祭にとってカリスマ性とは何でしょうか」 神父は答えた 「司祭は、多くの方に福音を与えるのを使命としております 穏やかで清貧で慈悲深く信用の出来る人物であらねばなりません しかし司祭のキャラクターその物に突出した魅力やカリスマ性が必要かどうかは疑問が残ります 何故なら司祭の目的は自分を売り込む事ではなく、主の教えを広める事だからです 主にこそカリスマ性が必要であり、司祭はあくまでそれを代理する立場だと考えて下さい 司祭に魅力を追求するとイエスの箱船やパトリック問題のような騒ぎに繋がってしまう危険があります」 そこまで記事を読んだ時本居の記憶の一部が反応した 「パトリック問題 パトリック、ミス飛騨の里の写メに赤城遼子が書いた名前だ」 本居は早速その当時の現代語辞典や出来事の書いてある書物を調べた。 しかしイエスの箱船については書かれているがパトリック問題については書かれていなかった 本居は思った 文章に注釈がないから、この地方ではこの事件は知られていたのだろう だとするて地方止まりの、とりたて問題性が低い事件だったのか?
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