想い想われ重くなる

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そうして過ごすこと2ヶ月。 相も変わらず教科ノートの代わりにアイデアノートを開いて教科書には目も向けないスタイルで授業に出席していた。 依然として問いの答えは見出せていないけれど、そろそろ飽きてきた。 自分の好きなことを授業も無視して考え続けられることは最高だ。最近では、見放されたのか心得たのか、教師から注意されることもほとんどなくなっていた。 それはそれで快適な環境だ。 ただ、「愛しています」という言葉の美しさを損なわずにどうやって遠回しに伝えるか。 飽きてきた頭で考える。すでに飽きているので、思いつく答えもパターン化してきている。 まず、英語などの他言語に置き換える方法を思いついた。 他言語なので、もし英語ではない言語で聞いた直後は意味を理解してもらえない気がするがそこは調べてもらえたら、と思う。しかし、そこまでしてくれる人ではなかった場合は無効である。また、発音も変わってしまうために日本語でいう美しさは損なわれてしまう可能性も高い。 意味が伝わればいいだけであれば有効だったのだが、今回はそうはいかない。たおやかさを重視すると決めている。 次に、日本語で言う方法。 もちろん、直接的に日本語で言うと「愛しています」だが、先人たちも如何にしてその言葉を遠回しに伝えるものかと頭を悩ませたらしい。 幸い、類似の表現や意味合いの言葉が多い日本語。調べればたくさん出てきた。 けれどもそれの大半が古語だとか、今は使われていない意味だとかが多く、とても採用できそうになかった。
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