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―――俺は謝恩会には出席しなかった。
元々その予定だった。
そのまま就職先の地域へ発つ為、新幹線に乗り込んだのだ。
まるで逃げるように――。
幸い、二番目の兄が就職先とほど近い地域に住んでいた。
二番目の兄とは三歳差で、昔から気が合う。
そんな兄が近くにいるのはとても心強かった。
ただ、当時兄は彼女と同棲していたので邪魔は出来ない。
兄のマンションの近くで契約した格安アパートに俺は住居を決めていた。
荷物は既に運び込んであった。
夜、アパートに到着し、携帯を確認すると――。
大槻から着信が何件も入っていた。
メールも送られていた。
『謝恩会来てる?』
『今、どこだ?』
『帰ったのか?』
『明日会えないか?』
そのメールを見ると自然と涙が溢れてきた。
俺は電源を落とした。
終わらせたのだ…俺の初恋は―。
翌日、携帯ショップに赴き電話番号、アドレスを全て一新した。
元々友人が少ない俺は、連絡先変更の連絡をしない事にした。
大槻はきっと俺の連絡先を探し出そうとするだろう。
それも踏まえて第三者への連絡を絶つ事にした。
ショップでもデータ転送作業は断り、メモリには家族と四月から働き始める職場の連絡先以外入っていない。
これからは、この地で出会う人の連絡先が増えていくのだろう。
バッグから以前の携帯を取り出し連絡帳を開く。
一瞬迷い指が震えたが、そのまま全消去のボタンを押した。
これで大槻と繋がる手段は無くなった。
大学にも俺の就職先は守秘義務でお願いしますと、念を押してある。
これから始まる新たな人生。
普通なら、喜びと不安が入り混じりながらも、心躍る事だろう。
だけど俺は何も期待していない。
これから生涯、恋をする事もないだろう。
でも、それでいいのだ―。
アパートの窓から覗く月をボンヤリ眺めた。
俺、橘結人、22歳の春だった――。
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