未来を継ぐ者

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去年の春、札幌に住んでいた山内に福岡への転勤の辞令が出た時、山内家は揉めに揉めた。 札幌の中高一貫校に進学したいと言い出した恒に、父親である山内はあろうことかとんでもないことを言ったのだ。 「俺は美弥ともう離れて暮らさないと約束したから、中高一貫は諦めろ。家族4人揃って福岡へ行く。」 その話を聞いた時、それは父親としていかがなものかと思ったが、山内の懸念も理解できなくはない。 未だに独身を貫いている雄大と涼介は、笠井に良い中高一貫校があるから、山内を単身赴任させて笠井に戻ってくるよう美弥に強く勧めた。 かく言う俺も札幌に本社を移転して、美弥と子どもたちと4人で暮らそうかと密かに画策していた。 結局、鶴の一声ならぬ美弥の『亘にどこまでもついて行く』宣言で、単身赴任案は却下。 そこで、俺が子どもたちを東京の実家で預かるという提案をした。 兄の真似ばかりしたがる京も、どうせ中高一貫校に行きたいと言い出すだろうから、2人まとめて面倒を見る、と。 実際に2人の世話をするのは家政婦たちだが、親元を離れるにはまだ少し幼いような2人に家族の愛情を注ぐのは俺と父が引き受けた。 自立心が芽生えてきた兄弟は父親への反抗心も手伝ってか、俺の提案に大いに乗り気になった。 美弥は心配そうだったが、子どもの可能性を潰したくないと考えたようだ。 子どもたちを預かってからは、毎日のように美弥と電話やメッセージのやり取りをするようになった。 2人が機嫌良く学校に行ったか。元気に帰ってきたか。友達と仲良くやってるか。ちゃんと勉強しているか。 保護者として授業参観や懇談会には必ず出席し、小学校のPTA会長まで引き受けたのは、俺が篠ノ井グループのトップとして忙しいなりにも融通が利くからだ。 そのことを京に聞いた美弥から恐縮しまくった長文メールが届いたので、俺は考えに考えて返信を打った。 『俺の人生は美弥に捧げた。それは昔、俺が勝手に決めたことだから、おまえは何も気にしなくていい』と。 それを美弥がどう受け止めたのかは聞いていない。
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