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「たか…ゆき…さん…」
美弥の汗ばんだ手が俺の手を強く握る。眉間に力を入れて閉じられた瞼。浅く苦し気な息遣い。
「美弥。」
大丈夫だ。大丈夫。心の中で自分に何度も言い聞かせる。
出産は病気じゃないが、死ぬ危険はある。
美弥を失うかもしれないという現実は、自分が死ぬことよりも遥かに怖いと感じた。
「お母さん、頑張って。」
京も美弥の手を握って励ますが、恒は何も言えずに突っ立ったままだ。
思わず恒の手を握ると、その手は小刻みに震えていた。
「美弥!!」
突然、病室のドアが開いて、転げるように男が入ってきた。
パッと見、俺よりも老けて見えるのは、ドーナツ状に禿げた頭のせいか、でっぷり突き出した腹のせいか。
「お父さん!」
まるで正義の味方が現れたかのように喜ぶ子どもたち。
「亘、間に合ったね。」
美弥は少し身体を起こして、ほっとした顔で微笑んだ。
「大丈夫か? 分娩室には?」
「もう行く。亘を待ってたの。」
ゆっくりベッドから降りた美弥は、陣痛の波が引いたのか自力で歩き出した。
「大丈夫だ。俺がついてる。」
山内はギュッと抱きしめてキスをした。
子どもたちは慣れているようで平然と見ていたが、俺は思わず顔をしかめた。
”俺がついてる”と言ったから立ち合い出産するのかと思ったが、美弥が拒んだらしい。
分娩室の外の廊下のベンチでハラハラしながら待つのは皆一緒だ。
「子どもたちを連れて来てくださって、ありがとうございます。随分早かったですね。」
確かに感謝はしているようだが、俺が美弥の手を握っていたことは夫として面白くないらしい。
「チャーター機だよ!」
得意げに京が説明したので、トゲトゲした雰囲気が和んだ。
鹿児島に出張中だった山内よりも、東京にいた俺たちの方が早く到着したことが京には興味深いようだ。
京の話に笑顔で相槌を打っている山内の手がふと目に留まった。
膝の上で握られた拳は白くなるほど強く握られていて、微かに震えている。
こいつも俺と同じだ。美弥を失うのが怖くて仕方ないんだ。
そう思った。
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