第1章 レッスン

2/3
前へ
/29ページ
次へ
風が吹いていた。 新緑の葉が宙に舞う。  アヤはチェロを肩に掛け、レッスンへ向かっていた。たまプラーザの駅を降り、信号が青に変わる。商店街を抜け、高級住宅街の一角に向かう。もうかれこれこの道を通るのは四年になるが、そのわりに上達しない。普段からレッスンをさぼっているのだからそれは当然と言えよう。「JKなんだからしょうがないのよ」勝手な理由をつけてみる。女子高生は社会人と違って好奇心が旺盛で、一つのことに集中できないのよ、なんて考える。社会に出た先輩達は皆、毎日の仕事に忙しくて合コンにだって顔を出してくれないことが多いのだ。 「アヤさん、練習は毎日しましょうね」 それは毎回、黒ぶちメガネのバーコード頭の先生にレッスンの度に言われることだ。アヤにとって、練習は嫌なことではない。毎日頑張れば必ず上手くなるとわかっていたし、指先が固まっていく度に音楽に入り込める。そんな喜びも知っていたから、必ず先生の言葉の後には「はい、頑張ります」と力を込めて答えてしまう。先生はアイの母に「稀に見る天才ですよ、芸大を目指しましょう」と言っていた。だが、アヤはチェロの練習は後でやればいいわ、今やりたいことをやらなければきっと練習にも集中できない……と自分自身を納得させ、友人と遊びまわることが多かった。黙々とレッスンしたい気持ちはあったが、恋もしてみたいし、おしゃれもしたい、食べログにある美味しいスイーツだって食べに行きたい。チェロ以外の何かを捨ててまで、芸大に行こうとは思えなかった。 大好きだけど、他にも大好きなことがあるのかもしれない……チェロへの揺れる思いはアヤの心をときめかせもし、また憂鬱にもさせた。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加