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意識的に生きることを拒んだ日から、砂漠の夢とはかけ離れた日常全てが、私にとっては架空のものとも言える。
朝、目覚めて化粧をし、電車に乗って仕事をこなし、ワンルームの部屋に戻り、名前も知らない男達からの電話を待っていたりする、日常。窓の外から赤ん坊に似た猫の鳴き声が聞こえると、浴槽へ駆け込み、耳を塞ぎ、シャワーを浴びながら設定温度を高くしてみたりする。熱湯を浴びたら、一瞬でも失神できるかと考えてみる。冷蔵庫にはビールと安ワインしか入っておらず、奥には腐ったみかんの皮と固まった卵の黄身がこびり付いている。
アルコールの海に溺れる日々。部屋中の灰皿には何年も前から同じ煙草の吸殻がある。そのフィルターに染み付いた真っ赤な口紅は、毒蜘蛛の様な男達に一瞬の快楽を求め続けた、吐きそうなほど不潔な記憶の欠片なのだ。愛した人に愛されたこともなく、ただ私の美貌に男達は群がり、身体を求める。だから私の醜い部分全てを知られる前に、月ごとに抱かれる男を変えてみる。嘘の愛と、囁きと、汚れた精液はこのベッドにもシーツにも永遠に染み付いたままに違いない。私の安らぎは、砂漠にしかない。目覚めている間の全ての日常こそが、
現実ではない、
夢なのだ。
そう、幼い頃、夜が来ることに恐怖を感じていた。子供部屋から聞こえる酒に酔った父の怒鳴り声と母の悲鳴は、私の耳を敏感にさせた。母は父が寝た頃を見計らって、毎晩私の元へやってきた。「ごめんね、ごめんね……」母の声と手のぬくもりの中で、無意識でさえいれば眠れることを憶えた。
「夢はね、嫌なことも全て忘れられる場所なのよ」
母の声が脳裏に響く。
この砂漠は現実世界の私が生きる、もう一つの空間なのだ。この場所を失えば、何処で呼吸すればいいというのだろう……だが、生きたいと思う男達を放っておく勇気さえ今の私にはない。
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