0人が本棚に入れています
本棚に追加
もしも誰かが私に気付いたら、そう感じてもらおうと思っていた。 だが人々の足を見るたび、 息を潜めてしまう。誰にも気付かれないように私のオーラを最小限にまで薄くする。
訓練次第では完全に透明人間になれるのではないかとさえ思ってしまう。次第に呼吸は苦し くなり、鉄の錆びた匂いが脳に充満し、意識が薄れていく感覚に陥る。その匂いは少女の頃、 神父様から奪おうとした十字架のネックレスに似ている。神父様はいつも鼻を赤くしながら、 私の頭に手を置いた。決して咎めず、私を憐れな存在と見ることも無かった。その頃から胸に 閉まってあった鍵を取り出すようになり、私の居場所を探す為に、差し込む穴を探す癖がついた。
「何処だろう、私が安らかでいられるのは」
だが、神父様は私の血だらけの指に気付かなかった。だから教会ではない。今ではもう、この鍵も自転車のキーより錆付き、腐りかけている。修復は不可能であり、私の胸の中で暴れ、 苦しみ、そして静かに一つ一つの灯火となって消えて行くのだ。何処にも居場所はなく、太陽 からも隠れるしかない。
私はその場に立つことがすでに耐えられなくなっていた。
吐き気がする。
エレベーターの踊り場に立つと私はまたボタンを押した。
これで四回目。
人差し指には真新しい皮膚が出来ていた。急いで戻って、ささくれを剥かなくてはならないと思 った。
リビングは電気スタンドのオレンジ色の光がほのかに漂っていて、夫が飲み残した甘いコーヒ ーの香りがした。次第に青いカーテンの隙間から光が流れ込み、スタンドの光を今にも飲み込 もうとしていた。
「来るな、おまえは部屋にいるべき光ではない」
最初のコメントを投稿しよう!