-明智倫- 落城の夜

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「姫、最早これまでです」 坂本城に集結した家臣達が、こちらへ判断を委ねている。 皆、昔馴染みの者ばかり… 父上が主君に取り立てられる以前より共に歩んで来た、 信頼できる家臣達の顔触れだった。 「…皆、今まで良く付いてきてくれた。 光秀様に代わって感謝する」 夫が私の横で家臣達へ頭を下げている。 その深々と腰を曲げる姿から、 夫がいかに皆を慕い、そして慕われてきたかが滲み出ていた。 「城の周りは既に豊臣軍に包囲された。 どうやらここまでのようだ」 夫は覚悟を決めた表情でこちらを見た。 「…覚悟はできています」 私は迷いのない頷きを返すと、家臣達に向けて 夫と共にもう一度頭を下げた。 「今までありがとう。 皆を巻き込んで申し訳ないわね…」 「とんでもない! 我々は死ぬまで明智家をお護りすることが勤めです!」 「私達は最期まで戦い、光秀様の選択が間違いではなかったことを証明してみせまする!」 「…あなた達は城から出て」 「えっ?!」 皆、私の言葉を聞き驚いた顔をしている。 「豊臣軍には、明智光秀の娘と娘婿は自害したと伝え…戦を終わりにしてくれ」 「あなた達は、私達夫婦の首と引き換えに命乞いをし生き延びて欲しいの。 …私からの、最期のお願いよ」 夫と私は家臣達にそう告げると やや強引に最後の別れを交わし、別室へと移った。 ーーー部屋の中はあまりにも静かだった。 「…怖くはないか」 夫が気遣うように私の顔を覗き込んでいる。 「怖くはありません。 あなたが一緒ですから」 「そうか。 …何か言い残すことは」 「…父上に…そして妹に… 今一度会いたかった。 けれど、それももう無理な話ね」 私が力無く微笑むと、夫も同情するように目を伏せた。 この人は、本当に優しい。 いくら父上の娘婿とは言え、 この場で離縁を申し出て 逃げ延びることだってできるのにーーー 「俺はお前の生涯の夫であり、 そして…明智光秀の直臣だ…」 私の首筋に冷たい刃先を添え、僅かな震えを隠すように はっきりとそう口にした夫。 「秀満様。 心よりお慕いしております…」 「ああ。 共に生まれ変わり、また逢おう」 夫の刀が高らかに掲げられ、 目を瞑った瞬間ーーー 私の脳裏にはくっきりと刻まれる文字があった。 『生きたい』 私はその刹那、意識を手放したーーー
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