-湯村奏- 山崎の戦い

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ーーー彼女が次に目にしたのは 自分の前に甲冑を着た男が立ちはだかっている光景だった。 それも、自分のすぐ首元に 鋭く光る刀をあてがっている。 「きゃあっ?!」 奏は咄嗟に跳びのき、後退りをした。 「…お倫?」 目の前の男は、驚いたようにこちらを見つめた。 「たっ、助けて下さい! ごめんなさい! ゆ…許して下さい! 何でもしますから!!」 奏は次から次へと出てくる降伏の言葉を羅列した。 自分でも何が言いたいのか分からなかったが、 とにかく目の前で自分に刀を向けている男をどうにかしなければ、ということだけは理解した。 「私っ…これまで至極真っ当に生きてきました! だから命だけは…命だけ…は…あれ?」 「…何を言っているのだ?」 奏が弁解の言葉を述べているうちに この不思議な状況に疑問が浮かんできた時、 男は呆れたような声で言った。 「此の期に及んで意志が揺らいでいるのか? 安心しろ、俺もすぐにお前の後を追うぞ、お倫」 「…お…お倫?」 奏は、ぽかんとして顔を上げた。 「あの…私は湯村奏と言うのですが…」 「何を言う? お前はお倫だろう。 突然別人のようなことを言いだして、 どうかしてしまったのか?」 …お倫…? 一体何のこと…? 奏は男が一旦刀を鞘に収めたのを見て、 冷静にこれまでを立ち返ってみた。 ええと、私はさっきまで真っ白な世界にいて… よく分からない『声』が聞こえてーーー …そうだ、私は死んだんだ。 私が私であった人生は… もう、戻ってこないんだ… あれ? …でも、私が私であるという自我はきちんと残っている。 …けれど、前の記憶が残っているからこそ きっと私はまたーーー 奏はナイーブな気持ちをぐっと押し込み、 状況を整理しようと自分のいる場所を見渡してみた。 どうやら自分は今は、立派な造りの和室にいるようだが 置物や家財のようなものは一切見当たらない。 目の前の見知らぬ男は甲冑を身に付け、腰に刀を差している。 そしてーーー 奏が最後に自分の足元へ目を落とすと、 自身の着ているものが見慣れた私服ではないことに気がついた。 これは…着物…? 「あの…あなたは…?」 恐る恐る尋ねると、男はもう一度呆れたように見つめながら答えた。 「突然どうしてしまったのだ。 俺はお前の夫だぞ…?」
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