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お盆休みに入り、久しぶりに田舎へ戻った私は、夜風に当たりながら縁側で風鈴の音を聴いていた。今にも割れそうなガラスの中に赤い金魚が揺れている。カランコロンとそれは風と共に歌い、くるくると回転する。風は私のロングヘアーをも揺らし、耳元で囁くような音を立てた。
今夜は少し冷えるな……そう思った時、『……彼女の嘘を兄に伝えるのです……』何処からかまたあの声が聞こえる。
咄嗟に顔を上げると、紺碧の中に白い月がぼんやりと浮かんでいた。
繰り返す声……それを私は月の声と呼んでいる。それが聞こえる時、必ず何処かに月が見える。微笑むわけでもなく、涙するわけでもないその月は私を責めつつも、優しく包み込む。
東京と違ってここは空が高い。私の心が闇で覆われているのに、月明かりに映し出された肌は何故つややかな色をしているのだろう。果てしなく高く続く夜空に包まれ、吸い込まれ、意識も未来も全てを忘れられたら、どんなに楽になることだろう。過去だけが、父や母に抱かれた楽しかった思い出だけが残ったら、どんなにいいだろう。
広い敷地の外れには裏山がある。そこは竹薮で覆われていて、祖父母もめったに足を踏み入れることはなかったが、ちょうど頂上あたりには二つの小さな地蔵が並んでいた。
私は子供の頃からその場所へ行くのが好きだった。二つの地蔵に手を合わせ、長く伸びる竹の木々の隙間から見る月はおぼろげでいて、神秘的に思えた。葉はサラサラと揺れ、これ以上の美しい場所は他にはないとさえ感じられた。
その地蔵は『縁切り地蔵』と呼ばれている。その名の由来は祖父の兄弟である長男の重雄が戦争に行った際、重雄を愛した女性が二人とも同じこの裏山で自殺したからだ。供養の為に地蔵が二体置かれたという話であったが、今では別れたい相手がいる者が深夜こっそりお参りに来るという場所でもあった。
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