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書類や雑誌の積まれた机上に手を掛け、僕は窓を開けた。案の定、数冊の雑誌と灰皿がカランという音とともに落下した。僕はその音で何からか目覚めた気がした。スケッチブックに描いた彼女の絵を破り、小さく折りたたむと、クローゼットの青いレインコートのポケットにしまいこんだ。それを着て、僕は階段を駆け下りた。もう何年も乗っていない自転車は雨に濡れていて、僕は自転車にまたがると、ぺダルを漕ぎ始めていた。
最初は近所のコンビニエンスストアに向かおうと思った。店内は明るく、彼女と同じ位の二十代後半と思われるレジの女性が客の若い男性と話をしていた。その笑顔を見て、僕は店内に入ることをやめた。腕時計を見ると、三時をまわっていることに気付いた。
「彼女が実は男性だったということもネット上ではありえることじゃないか」
「人をからかって面白がっているだけなのかもしれないし、ただそういうキャラクターを演じているだけなのかもしれない」
「そうだ、雨の日には散歩はしない筈だ」僕は彼女に会えない理由をひたすらに考えた。
僕は彼女を知らないし、彼女もまた僕を知らない。しばらくその場に立ったまま、アスファルトの水溜りを眺めた。心臓は雨の音と重なり、やはりこんな日はアジサイの花だけしかないと判断し、だから行くことができると胸に言い聞かせた。
奇跡的にも彼女に会えたらそれはそれでいい。姿を見て、存在を確認できればそれで安心できると思った。
雨は一段と激しくなっていき、レインコートの下に着ていた赤いティシャツは肌にぴたりとくっつき、気持ちが悪かった。目には雨粒が入り込み、涙を流しているかのような錯覚に陥った。
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