5 役割

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 公衆電話の不足を補う目的で一九五三年にサービス開始された簡易公衆電話(店頭の一般加入電話を公衆に使用させ管理者が料金を手渡しで受け取る方式)の後継とし、歴史を刻む。  ピンク電話の料金回収は店舗等の運営者が行い、電気通信事業者から請求される基本料金及び通話料金を支払うというシステムだったようだ。  初期型ピンク電話(小型ピンク電話)がレンタルで提供開始されたのが一九六〇年でダイヤル式、十円硬貨のみ、市内通話のみが可能。  次が大型ピンク電話で一九七二年にレンタル開始、二〇〇四年生産終了、郵政民営化後は販売扱いとなっている。  かなり長期に渡って使用されたので、わたしが記憶しているのも、おそらくこの型だろう。  次がボタン式ピンク電話で一九八五年から二〇〇五年へと続く。 (一九八九年にレンタルのみでサービスを開始したテレホンカード専用ピンク電話(二〇〇五年終了)もある)。  その先も『特殊簡易公衆電話』という機種は続くが、ピンク電話という呼称が消える(ただし筐体の色は――全体ではないが――ピンク)。  木製の筐体を加装した『鹿鳴館』を経、Pてれほんシリーズ開始。  PT1、PT2、PT12、PT13、PT3TEL、PT4TEL、,PT51TEL、DCL、S、C、CⅡと続き、現在もまだ稼働中。  ピンク電話のサービスが始まった一九六〇年は、アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地だった地域の多数が独立を達成したことから、アフリカの年と呼ばれる。  わたしはまだ子供。  当時のコマーシャル・ソングで流行ったのが『カステラ一番、電話は二番』『渡辺のジュースの素』『パッとパラソルチョコレート』など。  食べ物しか覚えていない辺りが微笑ましい。  一九七二年は閏秒による秒の追加が年内に二度もある。  同じく流行ったCMソングは『のんびり行こうよ(石油会社)』『さわやか律子さん(石鹸会社)』『金曜日はワインを買う日(酒造メーカー)』など。  わたしは高校生。
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