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「とにかく話を進めて欲しい、とお義父さんから頼まれました」
「何故、自分が来ないのかしら。わたしは逃げも隠れもしないのに……」
「ご自身が怖いと仰っています。また同じことを繰り返すのではないかと」
「それを避けるために、あなたを同伴するならわかりますよ。でも……」
わたしの前に美緒の夫がいる。
わたしの夫に頼まれ、離婚交渉をしに来た、と言う。
「壮太さんだって、お暇じゃないでしょうに。ごめんなさいね」
「いえ、その点は構いません」
「あなたのご両親が知ったら呆れるわ」
「お義母さん、おれには未だに信じられません。本当に、何かの間違いではないんですか」
「間違いがあるとすれば、夫がわたしを愛したこと。そしてわたしが、その愛を受け入れたこと」
「それならば、最後まで受け入れれば良かったじゃありませんか」
「その選択肢は、あるにしても架空だわ。だから実際にはないのよ」
「お義母さん……」
「辰巳の条件はすべて飲むから。具体的な話をしましょう」
「しかし……」
「わたしたち夫婦は割れたのよ。だから、もう元には戻らない」
「今はガラスが割れても戻す技術があります」
「壮太さんが、わたしたち夫婦を気遣ってくれる気持ちはわかるけど」
「……」
「辰巳は真面目で優しい男。面倒な癖や趣味もない。唯一道楽と言えるは古書漁り。だから十分、今からでも相手を見つけて幸せになれる。わたしも、それを望んでいるのよ。だけどわたしが辰巳の傍にいたら、それが叶わない。そういうことなの」
「おれにはわかりません」
「わからなくていいのよ」
「そう仰られても……」
「壮太さん、美緒が浮気をしたら、あなたは許す……」
「想像したこともありません」
「じゃあ、あなたが浮気をしたら美緒はどうすると思う」
「それこそ想像がつきませんよ。わかりません」
「でしょ。だから、わからなくていいのよ」
「うーん」
「あなたも好い人よね。辰巳とタイプは違うけれど。美緒は賢い目をしていたと思うわ。親ながらだけどね」
「ここで持ち上げられても……」
「ならば交渉を始めてください。壮太さんの貴重な、お休みの日を戴いているのですから」
柏木壮太は軽装でやって来る。
……といってもスラックスとチノパンだが。
背広を着て来なかったのは硬い話にしたくなかったからだろう。
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