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警察と娘に連絡したのも、わたしを病院に送ったのも夫。
後の経緯から、それがわかる。
わたしを刺し、赤い血が流れるのを見、怖くなったのではなく、冷静に戻っての判断らしい。
気を失ったわたしが大柄な消防隊員に担がれ、救急車内に運び込まれたとき、すでに警察は到着している。
夫はわたしの乗った救急車を見送る許しを受け、その後、警官に連行される。
事情聴取では正直に自分の気持ちを話したようだ。
が、夫のこと、おそらくわたしを庇い、わたしの浮気のことは話さなかったはず。
だから尾瀬の名前も出さなかったのだ。
殺人事件ではなく、犯人と思われる人物も捕らわれているので、警察の捜査もおざなりになる。
だから尾瀬のところに警官が現れない。
少し調べれば、すぐにわたしとの繋がりがわかったはずだが、わたしが痴話喧嘩のエスカレートという主張を変えず夫を訴えなかったので、それで終わり。
日本の警察は忙しく、ストーカー事件でも、被害者が殺されるまで動かない。
つまり事件にはならないのだ。
一週間ほど病院に入院し、家に戻る。
当然予想はしたが、夫の姿がない。
あったのは夫の署名がなされた離婚届。
証人欄に署名さえある。
その二人の名前は、わたしも知る夫の友人夫妻。
いったいどんな話を持ちかけ、署名を貰ったのだろう。
「困ったわね。わたしの方から渡すはずだったのに……」
離婚届をじっと見つめながら思わずボヤくと娘が言う。
「詳しい事情は知らないけど、お母さん、どうしてこんなことに」
娘はその日も仕事を休み、わたしに付き添っている。
もう大丈夫だから、と言い聞かせても帰ろうとしない。
「人生はいろいろあるのよ」
「お父さんが可哀想。壮太は憤慨してるわ」
「でしょうね」
「お母さん、あの人のことを愛しているの」
「やっぱり美緒にはわかったか」
「まさかとは思ったけど、あたし、お母さんの男友だちを知らないし、タイミングもぴったりで病院に現れるし……」
「そうね」
「お父さんとは、もうやり直せないの」
「美緒はそれを望む」
「お母さん、頑固だからね」
「あら、美緒の方が頑固でしょう」
「お母さんに似たのよ」
「じゃ、わかって頂戴」
「もう、どうにも仕方がないってことなのね。あの人のこと、少し教えて」
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