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「尾瀬康裕さんという、三十年前にお母さんの恋人だった人よ。その後振られて、お母さんはお父さんと結婚したの」
「でも何故、今頃……」
「少し前に、お母さん、お友だちのお葬式に行ったでしょう。あのとき亡くなったのは尾瀬さんの奥さんなのよ。その奥さんに引き合わされて……」
「複雑な事情なのね」
「佳代子さんも気持ちの逃げ場がなかったんだわ」
「それで死んだの」
「さあ、それは永遠の謎。……ところで美緒の方に、お父さんから連絡はないかな」
「あたしにはないわ。壮太にはあったみたいだけど。でも壮太がわたしに言わないから」
「まったく何を考えているんでしょうね、お父さんは……」
「お母さん、お父さんのことを何でも分かるって言ってなかったっけ」
「二人とも変わったのよ。だけど一度は話さないと」
「そうね。壮太にカマをかけてみるかな」
「あんたたちの夫婦仲を拗らせないでよ」
「たぶん大丈夫。でも……」
「なあに」
「お母さんも女だったって」
「女は若くても年寄りでも女ですよ」
「お母さんの口から、そんな言葉が出てくるなんて」
「お父さんとの三十年が消ただけ」
「そんなに簡単なこと……」
「美緒には経験して欲しくはないけど、経験すればわかりますよ」
「そう」
「ところで、もう大丈夫だから美緒は仕事に行ってよ。このご時世、休みが続くと首になるから」
「大丈夫。そんなにブラックな企業じゃないから。有給だって十分残ってるし」
「そんなこと言ったって、仕事には相手があるでしょう、迷惑よ」
「そこはね。でも、お母さんの方が大切だから」
「……」
「お母さん……」
「ありがとう。ごめんね、悪いお母さんで。しかも歳を取ってから」
「謝るなら、あたしじゃなくて、お父さんにでしょ」
「お父さんには謝るわ。でも居場所がわからないと。お母さん、お父さんのことが心配なのよ」
「それは、わたしも……」
「ところでさ、美緒。仮にお母さんとお父さんの立場が逆だったら、美緒はお父さんのことを応援した……」
「そんなの、わからないわよ。事情による」
「そう。では何故、今回はお母さんの味方をしたの」
「あたしはお母さんの味方をしているんじゃなくて、単にお母さんの身体が心配なだけ。それにお父さんは男でしょ。会社を定年退職したとはいえ、週に三日は顧問をしてる。結構忙しい。でも、お母さんには会社がない」
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