鷹に攫われて

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「なにか、食べなきゃ」  空腹を感じて私は冷蔵庫の扉を開ける。一人暮らしの小さなワンドア式家電製品はパッキンの剥がれる小気味良い音を立てて開いた。小気味良いのは音だけだった。 「……」  冷蔵庫の中は消費期限の過ぎた豆腐のパックと水分を失い茶色くなったネギが一本。平和な日常が失われる前日に廃棄しようと思っていた物だ。  きっと、食べられないことはない。だが傷んだ食べ物をわかっていて口に入れるのは馬鹿のすることだ。それでも、私は豆腐を取り上げて黄ばんだパックの中を透かしてみた。 「だめ、か」  口に出してみてはっとする。いま自分はこの黄色い物体を食べようとしていたのか? その事実に、いよいよ切羽詰まったところまで追いやられているのだと実感した。  このままじゃ、本当に死んでしまう。そう思い立ったらあとは早かった。  ベッドの隣に置かれたダンボール箱から黒塗りのノートパソコンを取り出す。こうなる前にダメ人間が忘れていったものだった。 「えっと、ここを押して……あっ、ついた!」  ディスプレイに灯る人工的な光。ようこそ。そんな言葉を、意思を持たない電化製品に投げかけられ不意に泣きそうになった。  パスワードを入力してください。  記憶を手繰り寄せて彼の無骨な指を思い出す。隣人は時たまに知人からバイトをもらってきたと報告に来たりした。そして気がつくと部屋に上がり込み、図々しくも勝手にお茶を淹れて煎餅片手にパソコンを弄りだす。やれセキュリティホールだ、やれクラッキングだのとわけのわからないことをぶつぶつ言いながら。  一度だけ、どうして私の部屋にわざわざ来るのかと聞いたことがあった。隣人は気の抜けるような声でぅん? と言うと、ヤギみたいなあごひげを撫でながらポツリと呟いた。 「ここが一番おちつくからかねぇ」  単に自分が産なだけかもしれない。だが、そんな事を言われて動揺しない女が本当にいるのだろうか。少なくとも、私には無理だった。別に付き合っているわけでもないのに。
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