プロローグ

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「サキ? ど、こ?」  とうとうその時が来てしまったのか、髪を撫でていた手が止まり、心細げな声を彼が出した。もう身体の感覚もないようだ。 「大丈夫。いるよ。ここ。わかる?」  彼の耳元で囁き右手を自分の頬にあてがう。顔が鉄臭い液で濡れたがそんなことは気にならない。怯えと不安に歪んだ表情が和らぎ、安堵の吐息が漏れる。  子供っぽくてだけど優しくて、ちょっとイタズラ好きな私の愛しい人。うっすらと目を開いて、私の顔を見る。 「咲……笑って」  彼の最後のリクエスト。ちゃんと応えられるだろうか。口角をあげて、眉間の力を抜いて、涙を堪えて。 「こう?」  唇が震えて上手に笑えない。どうしても眉が下がって上手に笑えない。涙が零れる。私は上手に笑えない。  彼はそんな私を見て穏やかに笑う。涙こそ流れていたけれど、それはいつもの彼のやさしい笑顔だ。 「また……どこ、かで……会おう、な」 「うん。絶対……絶対に会いに行く」  安っぽいメロドラマと人は笑うかもしれない。でもここにいるのはもう私と彼の二人だけ。辛すぎるくらい感傷的で、胸焼けしそうなほど甘い三文芝居。朝焼けが私達を赤く染めていく。  彼は最後にもう一度だけ微笑むと、私にありがとうと言って静かに瞼を閉じた。安らかとまでは言えないまでも、その微笑の暖かさに私の心は救われる。 頬に添えられた右手がずるりと下がり、コンクリートの床にどたっと落ちて沈黙した。
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