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「頑張ったね」
信仰なんて何もないけど、今だけは彼のために祈りたい。これが神の悪戯なら皮肉な話ではあるが。
私は再び瞼を閉じて彼の胸に頬をつけた。涙は枯れることを知らず、いつまでも涙腺から溢れてくる。もうそれを拭う気にもならない。
がしゃんっ。一際おおきな音がしてバリケードに積み上げた机ががらがらと崩れだした。
間に合わないかな。彼の身体をぎゅっと抱きしめて唇を噛む。他の誰かに奪われるまえに、早く私を食べにきて。私にはもう。生きる意味も気力もないんだから。
「!」
唐突に、抱きしめていた彼の身体がびくんと跳ねた。
思わず目を開きそうになってなんとか堪える。きっと彼は自分の変わり果てた姿は見てほしくないだろう。だからこの目は絶対に開かない。アメジストの空も、綿菓子みたいなふわふわの雲も、彼の穏やかな微笑みも、見たかったものはこの心に全部刻み込んだ。私はいま、幸せだ。
探るように、人じゃなくなった彼の手のひらが私の髪を撫でていく。彼が好きだといったこの黒髪。血で濡れてくしゃくしゃに。今度は背中の方へと降りていく。
次第に動きが荒くなっていくその両手は、私の華奢な身体を弄りワイシャツ越しに爪を食い込ませた。痛みが電流のように頭を痺れさせ世界が反転する。あぁ。よかった。
「ちゃんと、迎えにきてくれたね」
耳朶にかかる獣の吐息。くちゃっ。嫌な音をたてて口が開かれる。嬉しさと切なさに、私は自ら首筋を差し出した。
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