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翌日、将棋サークルの部室でコウジにおじさんの話をすると、意外にも反応は薄かった。
「ああ、『じゃんけんおじさん』だろ? オレも会ったことある」
パチン。盤上の駒を進めて、早く打てよと顎をしゃくってよこす。
「なんだよ、有名人なの?」
「まあね。上小(カミショー)ではみんな知ってたよ。あのひと、北川(きたがわ)大橋の下の工場で働いててさ、日給使って賞品のお菓子買って、帰り道に子どもとじゃんけんしてるんだって。むかしはよく、駄菓子屋でじゃんけんしてるのを見かけたって、親父が前に言ってた」
コウジによれば、上小──上北川小学校の学区では、知らぬ者はいないらしい。
「オレが前に勝ったときは、大袋のポテトチップスのりしおもらったよ」
「そっちのほうがいいな、っと」
長考後の俺の一手にも動じずに、コウジはすかさずパチリと駒を鳴らす。親父さんと毎日指しているだけあって、コウジは将棋になれている。対する俺は、まだ初心者だからなあ。なにしろ将棋サークルに入って一週間だ。
中学に上がって初めてできた友だちがコウジだった。出席番号が前後で、クラスで席が近かったのがきっかけ。オレ、将棋サークルに入るけど、おまえもどう? と誘われて、入ったはいいが、ここはサークルとは名ばかりだった。主要メンバーはみんな卒業してしまい、他に二年生、新三年生も在籍はしているらしいけれども、部室にはたいてい俺とコウジのふたりしかいない。活動時間中に一度は顧問の柳井(やない)先生が顔を出すが、人数が増えるタイミングはそれくらいだ。
考えていると、ちょうど部室の戸口に柳井先生の姿が見えた。
「おお、やってるな……」
盤面をのぞきこむ柳井先生の前で、俺は緊張しながら飛車を動かす。それをみて、先生は破顔した。
「良い先生がいるのに、おまえはホント伸びないなぁ。コウジ、詰め将棋の問題出して鍛えてやったほうがいいんじゃないか?」
「詰め将棋の本は貸したし、こうやって指してるほうが楽しいんだよ」
タメぐちを聞いたコウジに、先生は笑うばかりだ。コウジの親父さんは、週に一度、市民センターで講師として将棋を教えているほどの腕前だ。聞けば、柳井先生も講座に通ったことがあるらしい。
「それよりさ、先生はじゃんけんおじさんって会ったことあります?」
「じゃんけんおじさん? ──ああ」
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