祝福と呪い

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「みそぎ はらへたまひし ときに」 伊邪那岐命が、黄泉と妻をただの穢れと思って身を浄めたのか。 洗い流された穢れから再び産み出された多くの神々は、では穢れから出来ているというのか。 左目から生まれた天照大神も、右目から生まれた月読命も、鼻から生まれた素戔嗚尊も。 中津国の人間を毎日1000人殺すと言い放った妻への復讐のための禊だとしたら、そんな心根から三貴子とまで呼ばれる尊い神々が生まれるだろうか。 「なりませる はらへどの おほかみ」 菊理媛神に諭され、穏やかな心持ちになった伊邪那岐命が、海で本当に祓った穢れとは。 もしかして、妻との約束を守れなかった弱い自分の心だったのかもしれない。 妻を恐れて捨て逃げた卑怯な己だったのかもしれない。 石で道を塞ぎ妻を離縁した、己の行いだったのかもしれない。 それを悔いて、妻とともに産み出した世界と子らを護るために、己のいたらなかった行いも、黄泉の穢れとともに禊ぎ祓ったのであれば、まだ頷ける。 伊邪那岐命は妻を愛していた、黄泉路を渡るほど愛していた、それを菊理媛神が思い起こさせ、必要なことを示してくれていたのだとすれば。
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