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しんと静まり返った保健室は、窓が開いたまま人の気配だけ皆無だった。 軽く舌打ちした一之瀬くんが、ベッドをのぞきこむ。 「1人で大丈夫だから……戻っていいよ」 鼻血がついたティッシュを捨てて、洗面台で手を洗う。鏡で顔を見れば、片方の鼻だけが赤い。額もバスケのボールがあたったせいか、赤くなっている。 しかもメガネに違和感がある。外して目をこらすと、かすかにひしゃげている。 しばらくは視界不良で過ごす必要を感じたとき、ふいに背後に弾けそうな気配を感じて振り返った。 「……一之瀬、くん」 後ずさると洗面台に体が当たった。濡れたままの手の指先から雫がぽたぽたと床に落ちて、またシミをつくる。 ぼんやりとした視界の向こうに立つ一之瀬くんの、無言の言葉が保健室の空気を塗りつぶしていく。 溺れそうなほどの息苦しさが押し迫ってきて、私は呼吸困難に陥りそうになる。 一瞬動いた空気に乗じて、体を翻そうとした瞬間、足元が何かにつっかかる。 冷たい床を這いつくばった私の目の前に一之瀬くんの両足がある。 きっと、いや、わざと足をひっかけた。 保健室の窓から風は入ってこず、ゆるやかに空気が死んでいく。 みあげた私のぼんやりした視界では、一之瀬くんがどんな表情をしているのか分からない。 一之瀬くんが私の濡れた手をつかんで、ひきずりあげる。 「一之瀬くん、ここ、保健室……」 呟いた言葉は霧散して、私をベッドに引きずり倒した一之瀬くんには届かない。 誰にも私の声は届かない。 目の前の彼にすら。 空気にさらされた肌が怯えて、歪んだ視界のすみで黒い塊がいつものように動き出す。 後頭部の痛みがひきつったように鳴っている。 体の内側が激しい鼓動に荒らされていくように、喉の奥から私の知らない言葉がせりあがってくる。 「声、出すなよ」 慌ててジャージの袖を口にくわえる。 膨れていつか爆発してしまいそうなほどに張りつめた内側の世界が、出口を求めている。 求めた先には、同じようにすべてをもてあまして荒れた光しか見当たらない。 バスケで今しがたまで体の言葉を聞いていた一之瀬くんは、自分の世界を日常からむしりとるように動く。 ただ芸術のように動きを重ねて、いくつもの汗を保健室のベッドに残していく。
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