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図書室の窓からは、グラウンドがよく見える。 「いけー、いけいけ回れー!」 誰かが叫ぶ声より甲高くバットにボールが打たれる音が聞こえてきた。 「一之瀬サイッコー! 逆転ホームランっ」 楽しげな笑い声が聞こえてきて、彼が笑顔で皆に迎えられている光景を想像する。いつだって彼は輪の中心にいて、世界の中心にいて、怖いほど日常の中に身を置いている。 つい数時間前の保健室の出来事は遠い私の妄想の産物で、単に勉強のしすぎで抱えた不満の成れの果てのような気さえする。 胃がきしむような感じがして、シャーペンをノートに強く押しあてて現代史の勉強に取り組む。戦後史の問題を解いていると、鬱屈した日本の闇が足元にしのびよってきて、グラウンドの音を遠ざける。 彼の笑い声や、彼の打った音や、走る音やなんかを。 確か、こんなふうに戦後史に夢中になって図書館の閉館時間まで勉強していた夏のあの日が始まりだった。 暗くなった夜道を急いでいた時、ふいにすぐ茂みの裏の方から悲鳴があがった。 あまりの近さに手にしていたスマホを取り落としそうになった。ネコの悲鳴だ。 怪我をしたネコが多く見つかっている。 誰かの悪戯によるものだと噂になっていて、なんとなく中高生の間では夜道に気をつける風潮が漂っていた。 ネコの悲痛な鳴き声は自分の身に起きた不運を一身に背負い込んだ哀しみと恐ろしいほどの生への執着心を負っていて、思わず茂みに近づいた。 誰かが背を向けている。 その向こうにネコがいるに違いなかった。 地面をひっかいて暴れるような音が絶え間なく続いている。 「な、何、してるんですか」 夜目にも分かるほど、誰かの背が激しく反応した。その一瞬の隙をネコは見逃さなかったらしい。 「ってぇ!」 飛び退いた男性の声と同時に、ネコが影のように走り去った。男性は舌打ちすると、そのまま闇の中で私の方を振り返った。街灯が彼の姿を映し出す。 その瞬間、私と彼は同時に息をのんだ。 「仲里さん」「一之瀬くん」同時に呟かれた名前は、まともに会話をしたこともない者同士のものだった。
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