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一之瀬くんが私の肩を強く押して、そのままタバコで焦げたところもある絨毯の上に倒された時、そのまま無言で彼がのしかかってきた時は、不思議と抵抗する気も起きなかった。
私を見下ろす空洞のような2つの瞳は、私という形を通り越して、どこにもいけないまま地面の奥底を覗いていた。
「……なんで抵抗しねぇの。気持ち悪りぃ」
いつもの一之瀬くんとは違う声色。初めて聞いた暗い果ての匂いをまとわりつかせた響き。
一之瀬くんの形をした誰かは、きっとそういうんじゃなくてもっと曖昧で不確かなものを捕まえようとしている気がした。それは私も追いかけているもののような気がした。
「好きにしていいよ」
喉がひりついたように掠れて、うまくしゃべれない。
爬虫類の体温にも似たひんやりした指先が肌に触れて、体の言葉が一之瀬くんから滑り落ちてくる。それは爪に、指に、手首に、腕に、肩に、鎖骨に、頸椎に、脊椎に、肩甲骨に、腰骨に、いろんな部位に動きとしてあらわれて、空白の体に何度も新しい意味を与えてくれるようだった。
私の体を構成するすべての原子が、一之瀬くんの熱でばらばらになって空気の隙間で痺れていた時、ようやく誰かではない一之瀬くんが見えた気がした。
この日を境に、一之瀬くんは私の中で大きく輪郭をなした。
図書館と学校と勉強だけで染められていた日常に、一之瀬くんとの時間が割り込んで、密やかに湿っぽく世界の断片になった。
粘着質の液体の中で溺れるように、私と一之瀬くんはだいたい私の部屋でたまに広いマンションの一之瀬くんの部屋で動物のように喘いだ。
恋人同士がささやくような甘い言葉も、クラスメイトがふざけあう笑い声も、好きな人と目が合って胸躍る気持ちも、セフレが楽しむ余裕さえ何もない。
ただ世界の言葉のかわりになる何かを探して確かめるように、相手との違いを一つ一つなぞるように交歓しあった。
正解なんてなくて、答えを求めることさえ思いもつかず、日は過ぎた。
相手が合間に話す言葉は相手に届く前に届くことを諦めて、いつも密室の中で繋がっては離れた。
あいかわらず学校では会話もしない、クラスメイト以下の存在でしかなくて、あいかわらず一之瀬くんは皆の中心で笑い、あいかわらず私は図書室や街の図書館で勉強を続けた。
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