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淡い期待を込めて1台しか呼ばなかったタクシーがゆっくりと近づいて来る音がした。
路面と店の植え込みがヘッドライトに照らされたのが見えて、オレは絞るように抱き締めていた玲乃から身体を離した。
“オレと行くか、あの人のとこに戻るか”
急過ぎて、しかも重大な選択を押し付けてしまった自分の幼さを悔いた。
かと言って、このまま帰したくない想いは強くて、自分の感情なのにそれさえまともにコントロール出来ないくらい。
玲乃を手離したくない、と。
ここで終われば本当にオレたちは終わりだ、と。
そう思ったけれど…。
玲乃は何も言わなかった。
それが玲乃の答えなんだと思い、やって来たタクシーの座席に押し込むように玲乃を乗せた。
ボンネットに手を置いて屈んでいた身体を伸ばして車から立ち去ろうとしたオレのコートの端っこが、ぎゅうっと引っ張られた。
「え………」
「いて?…和也………そばに……」
彼女は半身を外へ出すようにシートから腰を浮かせて、オレを見上げてそう呟いた。
付き合っていた頃によく見た、少しだけ駄々をこねる顔をしていた。
タクシーの運転手は、よくある恋人同士のそれとでも思ってるんだろう。
バックミラー越しにこちらを見た顔が、やれやれと言いたそうに見えた。
「すみません、やっぱり乗ります」
オレがそう言うと、ホッとしたように玲乃はシートの上を滑り横へズレた。
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