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「――とりあえず、現金で3000万円用意してもらおうかねえ」
一時間前。
異常な接近にバランスを崩しそうになった俺を抱きとめ、スズキは言った。
その緩んだ身体から漂う甘ったるい香料とそれでも隠しきれない体臭に、湧きあがる吐き気を堪えて俺は反論する。
「は、払うって言っただろ、全額。来月には」
会社を畳んで仕事場も処分して、その他細かい資産を売却すれば、払えない金額じゃない。
脳内で必死に計算する俺を、スズキは嘲笑うようにして話を続ける。
「それでもね、これは瑠津くんの為を思っての提案なんだよ。早急に現金払いにしてもらうことで、大分相手方に金額をまけてもらったんだから」
「う、あ」
片手を肩に置き、もう片方の手で俺の髪を弄びながら恩着せがましい調子で続けるスズキの言葉は、ほとんど耳には入らなかった。
生暖かい息が顔にかかる。
それだけで、ざあっと背中に鳥肌が立つ。
振りほどきたいと思う。
だけど、肩を掴まれていてはそれも叶わない。
いや、そうでなくても……この手を振り払うことで被る不利益を知っているが故に、それを実行するだけの度胸はない。
「まあ、今の世の中個人的に親しくなった位じゃ、支払いをどうこうしてあげる程甘くはないけどねえ」
「んっ……」
肩を掴んでいた手が離れ、指が伸びる。
太く節くれだった指が、俺の頬に触れる。
「少しの間なら、支払いの延期に協力してあげることができるかもしれないよ?」
指は、頬から唇へ。
首を竦め、目を閉じる。
このまま、流された方がいいのか?
少しでも、今の状況が良くなるのなら……
刹那、そんな考えが過ぎる。
指が、唇を割って中に侵入しようとしたその時だった。
カタン。
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