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「それっていけないことなのかな?」
心の深い部分から泡のように生まれてくる『声』をかき消すように、間を置かずに、だけど平坦に少女に問いかけた。
その時はじめて、少女はほんの少しだけ声をつまらせた。すうっと、少女の顔から僅かにあった熱が引いていく。夜空に浮かぶ月よりも、今の少女は青白い。
「……わからないわ」
少女は、苦しそうに言葉を吐き出した。表情はあいかわらず冷たいままだけれども、僕には、はっきりとそう感じられた。少女の声には、何か苦いものを吐きだしたような、微かな温度があったからだ。
「私、泣いたことがないもの」
「……え」
そんな事はないだろうと、訝しんだ表情をしてしまったのだろう。少女は目を細めて、僕を見つめてきた。
「信じられない?」
僕は、慎重に頷いた。
「でも本当よ。私、生まれてきてからずっと、泣いたことはないわ」
「いや、でも……」と、思わず声を出してしまった。「誰だって、赤ちゃんのときは泣くんじゃない?」
「そうね」と、少女は頷いた。それでも、「だけど、私は泣いたことがないのよ」と、冷えた声で言ったのだ。
少女は相変わらずの無表情で、どんなに頑張っても、そこからは何も読み取れなかった。
「……ごめん。よくわからないや」
僕は困ったように笑いながら、思ったことを正直に話すと、少女はまじまじと僕を見てきた。
―――あとになって気が付いたのだが、あれは恐らく驚いていたのだと、僕は確信している。
「嘘だとは、思わないの?」
「……うん?」
ああ、そういえばそんな考え方もあったな、と僕は苦笑した。たしかに、少女の言っていることはメチャクチャだ。『嘘』だと決めつけたほうが、よほど簡単だろう。
ただ僕は(理由を聞かれても困ってしまうのだが)、少女が嘘をついているなんて考えが、そもそも初めから無かっただけだ。
「嘘をついたの?」
「……ついていないわ」
「そっか」
なら良かった、と僕が呟いたら、少女は顔を背けてしまった。何か嫌われるようなことをやってしまったのかと、少しばかり不安になる。
「……猫」
「ん?」
「帰ってくるといいわね」
「……そうだね」
僕はもう一度夜空を見上げて、少女の声に応えた。いつの間にか乾いていた瞳で、星の少ない空を見つめる。少女は、顔を背けたままだった。そのまま、ふたりで別の方向を見続けていた。
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