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少女の手が僕の頬からそっと離れる。冬の大気が、僕の肌から彼女のぬくもりを盗んでいく。
「おかしな人。悲しいのに何で笑うの?」
少女の言葉には、確かな毒が含まれていた。僕が彼女の声に聞き惚れていなかったら、きっと解らない変化だった。まるで、僕が罪人であるかのように咎める口調。だけど、僕の心の水面にはさざ波さえも立たたず、月の見えない真夜中の様な静寂を守っていた。自分の不合理はとっくに承知しており、その正体を表に出さないことが何よりも大切だった。だから僕は言葉を探していた。当たり障りの無い、全てを有耶無耶にするための、使い慣れた虚言を。
しかし、少女は僕の言葉を待つこともなく、踵を返して、夕闇に沈みかけている町へと歩き始めた。僕はそれを呼び止めることはしない。むしろ、解放された安堵感が心の大半を占めていた。だけど、瞼の裏で少女の表情が消えてくれなかった。まるで、ふとした切っ掛けで見つけてしまった古い傷跡のようだ。いつどこでケガをしたのかさえ、もう分からないのに、必死に忘れようとすればするほど、頭から離れてくれない。余分な思念を振り払うように、僕はもう一度だけ、くたびれた段ボールに視線を投げてから、河川敷をあとにした。
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