第1章

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 かちこちかちこち、腕時計に目をやる。まだ早いか。  刈谷は待ち合わせ場所をもう一度見回した。真っ黒なレストランの個室、壁もテーブルもカーペットも黒黒黒。真っ黒なテーブルクロスの上に飾られた白いバラだけが浮き足たって見える。密談向けの個室のレストラン、BGMすらない。  こつりこつり、と表現するにはいささかか細い足音。ポッキーが折れる音を大げさにしたようなアンバランスなのに転ばない足取りは女性の靴音だ。きっとその足にはポッキーのように細く長いヒールが生えているのだろう。  刈谷はそんな足音を予想して、ゆうゆうとジンジャエールを飲んでいた。銀座にしては安い店だが、酒を頼む気にはなれない。 「あの、遅れてしまって・・・・・・すみません」 「うわっ!?・・・あ、なんだ美月ちゃんか、びっくりした。音もなく現れるからおじさんびっくりしちゃったよ、はははっ」  本気で気がついていなかった、無音で忍び寄るとは彼女は何者なのか。ーー背後には美しい女性がたっていた。長い黒髪に小さなヘアピン、ジーンズにブラウンのハイネックという軽装だったが妙に品がある。きっと封を切ったばかりの新品なのだろう。彼女の足下を見るとヒールのない靴を履いており、苦笑いが漏れた。 「ご、ごめんなさい、できるだけ音を立てないようにと」 「音もなく背後から声かけられた方がびっくりするって。二人きりの待ち合わせだから、俺に声を掛けるとした君しかない。なのに驚いちゃったよ、あれもしかして俺難聴?」 「・・・・・・す、すみません」 「いやいや、だから謝らなくていいって!遅れたってもこんな地下迷宮の果てにあるような会員制レストラン初めてなら、予想より早いくらいだよ? 一時間待ってないもん、俺」 「銀座もあまりきたことがなくて駅から迷ってしまいました」 「むしろこの業界としてはさ、美月ちゃんみたいな売れっ子、時の人、実績ある実力派なんて若者は俺みたいな年食っても使い走りの中年を待たせて当然ってのがセオリーなんだから。てか、いいかげん座りなよ?」  ここはバーカウンターではない、ゆったり座れる木製椅子が三つ。相談室のような構成はここの店が地価の高い場所で細々とやっていける理由だろう。彼女は視線をさまよわせると刈谷から見て斜め右に座った。
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