第1章

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「ではお隣に・・・・・・いえ、刈谷さんは使い走りなんかじゃないです。色々な現場を経験された古強者と若手には噂されていますよ」 「まあ裏方長いからね、あっちへふらふら、こっちへふらふらの根無し草は使い勝手がいいからこき使われてる。ーーでも君は違う。 君は間違いなく時代の寵児、いやそんなもんじゃない。十年に一度くらいの天才だ、古強者の俺が保証するさ・・・しかし古強者って、みんな若者の割に古風な噂するね」  それは事実だった。彼女、本名日野美月は時代の寵児で羨むのもバカバカしいほどの天才だ。しかも謙虚な人格者。そういう人物から褒められるとは、お世辞でもうれしい。 「人気者なんですよ、影では、人の本音の間では」 「もっとおおっぴらに人気者になりたいもんだなあ・・・さて、俺は君を天才だと思う。だから俺風情に君が『絶対に秘密の相談をしたい』って持ちかけた理由がよくわからない。俺と君の関係は現場で何回か仕事して雑談した、知人と友人の中間程度。その程度の奴ならたくさんいるだろう?」 「その、確かに刈谷さんでもなくてもよかったです。でも誰でもというわけではないです」 「そうかな?俺が君の話した秘密をばらすとは思わなかった?なにせ俺は下っ端の貧乏人だからね、若くて美人、周囲からきゃーきゃー言われる実力派音楽演出家香坂美月の秘密なんか知ったら脅すかもしれないよ?  君みたいな人は心を開く相手を選ぶべきだ」  刈谷は飄々とした人間だ、自分でも多少の自覚はある。けれど平凡な人間でもあったから、才能と努力と運に選ばれた人間には嫉妬もある。そんな自分の悪心を抑制する意味も兼ねた忠告でもあった。  しかし涼しい笑い声が思わぬ事実を告げた。祝福のラッパが小さい音しか奏でないように。 「そういう所をなんども忠告してくれる人だから、お願いしたんですよ」 「へ?・・・・・・そんなこと、あったっけ?」  そんな善人だった記憶はない。悪人ではないつもりだが聖人になった覚えもない。  額に指先でつついても記憶は戻らない。彼女に関する記憶は凡人の自分がすごいなあと遠巻きに見上げるものだけだった。しかしこうして呼び出されるということは、自分のやったことの記憶など宛にならないということか。
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