第1章

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「でも君は戻ってきた、どうしてだ?そんな君を苦しめる真似をどうして」 「どこにも逃げられませんでした、この世に、人間の住むところに音楽のない所なんてない。  自分に絶望したからでしょうか? 私はだんだんと音楽が聴こえるのが不快でなく、恐怖となりました。自分が異常者だと断罪されているようで、聴けば苦しくて堪らない。・・・・・・レストランのBGMで吐き気がするんですよ!? 小学校を通りかかってふと聞こえた音楽で目眩がするんですよ!?  これがおかしくなくて何がおかしくないんですか!?」 「だったら尚更、なんでまたこの世界に!?」 「仕事にしてしまえば、一番楽だからです。作業として音楽以外の良い部分を抽出して、かき集めて、元がどんな音楽でも魅力的に魅せる。そうして集中している時が一番音楽を部品として扱えて、気分がましなんです・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・」  絶句、だった。  刈谷は彼女を手の届かない天才だと思っていた。そしてそれは間違いではないーーしかしその理由は余りに凄惨なものだった。彼女が天才と呼ばれる理由は、自分が異常者であるという恐怖から逃れたい一心だったから、など・・・・・・。  そこにあるのは創作の苦しみでも、理解されない苦悩でもなく、みんなと同じものを愛したいけれどできないという自分への失望と恐怖に突き動かれただけだった。  なんて悲劇だ、しかも救う方法が全く思いつかない。彼女の言うとおりだ、人の世に全く音楽のない場所などない。  音楽は世界に愛と平和をもたらす。そんなキャッチコピーをキレイゴトだと苦笑しつつ、同時に言語を越えて感情を伝える音楽に可能性も感じていた。  しかし、それは彼女にとって地獄だった。彼女には届かない、どんなに手を伸ばしても傷つくばかりで届かない。 「刈谷さん・・・・・・私ね、大学には行ったときからずっとお金を貯めてきたんです。どうしてもダメだったとき、これで私は誰も人の住まない所にいこうって。人がいなければ音楽もないから。  そして目標金額までとっくに貯まって、場所の目星もついています。何ヶ月かしたら私はそこへ行くーー」  遠い場所をみている。月の裏側をのぞくような、地獄の釜を見下ろすようなーー寂しい目。 「だからあなたに聴いてみたいことがありです、ここまで私の話を聴いてくれたあなたに」
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