第1章

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昭和という時代 昨夜(9月9日)中村玉緒がテレビで勝新太郎を語っていた。 勝新さんと言えば座頭市だが、生き様として考えた時には、ガンを公表した記者会見でのタバコを思い出すのだ。 ガンを告知されて、ショックを受けない人間など居ないだろう。 だが、勝新太郎は、そのショックの中で、タバコを止めたと良いながら吸う事で、惚けている姿をさらっと見せ、破天荒な俳優・勝新太郎を演じ切った。 こんな男の姿を、俺は凄いと思うし、勝新太郎を演じ切ったプロ意識には鳥肌が立つ思いがする。 そして思う。 俺もこんな生き様をしたい……とね。 そして、時代の流れも痛感する。 勝新太郎は、平成の現在日本で存在出来るだろうか? 答えは簡単で、勝新太郎は、やはり昭和だから存在し得たのだ。 俳優なら高倉健も渥美清も石原裕次郎もそうだろうし、国民的歌手の美空ひばりもそうだろう。 近頃亡くなった永六助も大橋巨泉も、やはり同じ昭和の子なのだ。 だから、俺が勝新太郎に感じた鳥肌が立つような思いは、平成の人達には判らないかも知れない。 しかし、せめて理解しようとはして欲しい。 理解出来たか出来ないかは別として、理解しようとする事が大事なのだ。 結果が見える事が人生の全てでは無いと俺は思う。 だから、どうせ理解出来ないからと、理解する努力までを否定しないで欲しい! 理解しようという気持ちが、他者への思い遣りになるし、優しさにも繋がる。 でも本音では、理解出来て、プロ意識の高い人達が増えたら良いと、心から願う。 勝新太郎のように生きれるのかって……多分無理だとは思う。 が、腹が座ればという気持ちはどこかに在るよ。 悪い結果に対して、一時的には落ち込んだとしても、仕方がないと受け入れて生きてきたからね。 悪い結果ばかりだったからだろうって……その通りだけど、胸を張って空威張りする男の見栄は張ってきたよ。 それが昭和という時代なんだよ
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