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 旅というのは、人間にとって最も身近な現実逃避だろう。色々なものに追われる毎日から逃げ出して、勝手気ままな旅をする。ただ一つ、泊る所だけは決めて、日々のらりくらりと過ごす。私はそんな旅に、常に憧れていた。どこかから帰ってきては仕事に従事し、それが終わっては再び旅の空となる。それがこの上も無く楽しくなっていた。  仕事、私の仕事というのは小説を書く事であった。それだから旅という現実逃避。刺激は実にいい影響をその作品たちに与えていた。旅先で一言、「小説を書いているんです」と言えば、逗留先の宿主はその土地の面白い話をしてくれる。奇怪な話、伝承を話してくれる老人も少なくない。時にはもっと興味深そうに、どんな話を書いているのか尋ねてくる人もいる。しかしそんな時、私は戸惑いながら旅の小説と答えていた。  嘘でもないが、真実でもない。というのも、私が書いているのは、さも当然であるかのように人の死んでゆく、推理小説であった。旅で思いついた話は、そこを舞台にして記した。だから旅の小説というのは間違っていないのだが、如何せん人が死ぬ。人が死ぬ話となると、気味悪がられる。いつしか私は推理作家だと名乗らず、旅記作家として旅をするようになっていた。  そんなある日のこと、私は珍しく推理作家となった。それは四国のある清流のほとりに宿を置いた、九月の夜のことであった。  虫はさんざめき、川は流れ、月は出ず、星はひかり、この夏にしては珍しく過ごしやすい夜になっていた。もうすぐ夏が終わる。そんな象徴のような夜。私は土手に腰を下ろして星めぐりをしていた。  こんな夜でもこの清流のほとりに位置するこのバンガローに宿泊客はいて、眼下に見える河原ではバーベキューをしているのか、肉の焼ける、食欲をそそる匂いと共に女子たちのキャッキャという声が、おりからの撫でるようなそよ風にのって私の頬をくすぐっていた。
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