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人工透析は元々やらない病院ではある、というもののしばらくは今の病院脳梗塞ICUに入院する、とのことだ。
父が金曜日の夜病院に運ばれたときの状況から辿っていくと、先ず倒れて病院に運ばれるまでの間が比較的早かったので、MRIをとって点滴を入れているようだった。
夜の休日救急で他の運ばれた患者の家族らしき人も2グループほどいた。地下一階の集中治療室の外で待っていたが蒸し暑く、しつこい蚊が飛んでいた。室温としては28度くらいであろうか。この暑い夏に室内では冷房に慣れてしまった現代人には堪える蒸し暑さだった。
最初は救急車に同乗して着いた母が先ず病院にいて、それから次女が着いた。程なくして私と私の夫も駆けつけた。途中のコンビニでおにぎりを6個、パンを4個買った。
母たちは私の夫まで来てもらったのは悪い、と言って丁重に礼を述べた後、事態が分からない状態で一緒に居させるのは申し訳ない、と話し帰宅してもらうことにした。
夫は素直に従った。
集中治療室からは時々、医師や看護師が父の名前を呼んで声かけして意識の確認をしているのが聞こえた。
何時間経っただろう。父は以前も腎不全で死を目前にしたことがあり、その時は丸一日病院に兄と私が付き添った。三年前のことだ。それから見事本人の強靭な体力と精神力で退院し、人工透析を受けることとなった。人工透析を始めて、約三年になる。腎不全で入院した際の医者は二年持てばいいほうでしょうが、と補足して退院させ、人工透析のある病院に週3日一日3時間の透析に仕事の合間に通っていたのである。火曜、木曜、土曜は透析日と父の店に来るお客さんにも覚えてもらうほど皆、近所の人も含め、父の病気状況は周知の事実であった。
普通の人は人工透析の後すぐグッタリして家で次の透析日まで寝ているということを聞いたが父は透析が終わり送迎車で送ってもらい帰宅すると、すぐに店に行き商売を続けていた。朝のゴミ出しから、自分のワイシャツのボタン付け、パンツのゴム通し、そんなことも責任もってやる父だったので、その習慣も続いていた。
集中治療室に入ってから2時間で、ようやく医師に呼ばれた。倒れてから4時間以内にできるアルテプラーゼ静注療法がある、という。普通の成人でも4割くらいまでにしか成功はない、と言っていたように思うが私たちはその今とれるべき療法に同意し、母がサインした。
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